2016/5/4
国道184号を西進すると三次市吉舎町三玉地域に馬洗川に架かる吉舎大橋手前の吉舎大橋東詰交差点を
右折すると、市道の敷地三玉線に入る。上をやまなみ街道 尾道松江道が通っている橋脚が見える。
交差点角に本屋のBOOKS STATIONERY TORAYAがある所から約1km走行すると馬洗川に架かる
元衛橋があり、そこから約400m走行すると古民家 茅葺・入母屋造の奥家住宅に着く。 |
馬洗川に架かる元衛橋 |
元衛橋を渡ると田園風景が広がり、左手にこんもりとした樹木が見える。
その中に奥家住宅がある |
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2016/5/4
奥家住宅の案内板が目にとまりました。 |
市道 敷地三玉線脇に中国バスの一の渡停留所の表示板があり、
直ぐ先には一之渡橋がある。 |
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狭いコンクリート敷きの緩い坂道を自動車で登る。ほんの僅か登ると突き当りに
桐の木が3本あり、右手に自動車が2台ほど止められるスペースがある。 |
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国指定重要文化財 奥家住宅 附普請帖 指定年月日:昭和五十三年一月二十一日
概 要
奥家は、吉舎町西北部の町道(旧国道)吉舎三良坂線沿いの丘の上にあり、梁間四間半(八,八六五米)
桁行八間(一五,七六〇米)の北側につの屋のついた主家の他、蔵・納屋・門などの多くの付属屋に囲まれている。表門は以前、現在地よりはるかに南に位置していて広大な屋敷構えを備えていた。当家は天正の頃
丹波国より来住し、天明年間に現在地に居を構えたという。天明八年(一七八八)の普請帖が残されており、
建築年代の明確な民家としては数少ないものの一つで、間取りは台所のあるつの屋ついた形で規模が大きく、つの屋「なんど」北側、「ざしき」脇は改造が著しいが、他は当初の形をよく残している。
つの屋には一部に当初の材を残しているのでこの間取りの形式は当初からのものと判断される。
主屋後半分とつの屋が日常生活空間と考えられるが、「なかの間」「台所」境にはかなりの段差を
設けて主屋との格の違いを示している。復元について若干述べると現在「おもて」南側は内縁式であるが
差鴨居の溝は三本であり、土間境の柱から半間長く差鴨居の溝を切っており元は、外側の溝を雨戸として
使用したものであることが判明した。「仏間」「座敷」の縁は元から内縁であり、それは、妻側に
折れ曲がり「なんど」まで続いていたものと考えられる。また「なんど」北側には壁の痕跡を残すが
どの程度の閉鎖性をもったものかは判断できない。いずれにしろ、当初から六間取りにつの屋の
付属した形式であったわけで間取り自体としての大きな改造は認められない。構造は内法をすべて
差鴨居で固め、柱数も少なく上等な構えである。軸部の建ちも高く、上屋柱桁筋に敷桁を通し大梁を架け、
その上に束踏と权首のかかる桁を置く。広大な小屋裏の空間は棟束と貫だけでは足らず、棟束から权首に
方杖を入れて支えている。主屋内に入って特に著しいことは、土間上の梁組みである。木太い梁が互いに
五重に及び、頑丈にに組み上げられた姿は圧観である。構造的に狂いもなく仕上げも丁寧で、
この地方の十八世紀後期の代表的な豪家として貴重である。と概要説明板に記されている。
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内部には入れないので外観だけを拝観させて戴きました。 |
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