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山野草さがし散策・過去録写真館

福山城

旅、知らなかったことを求めて、のんびりと自然を散策。
旅をして新鮮な空気、情報を取り入れ、自分を見つめ直し、明日への希望と活力に役立てよう。
人は、常に希望を持ち 実りを求めて あせらず 目先の欲にとらわれず、与えられた自然の流れに任せられたら、どんなに素晴らしいことだろう。

2014/3/24                 
福山城のソメイヨシノが10輪ほど開花していた。5~6輪開花すれば開花宣言をするという。
2014/3/25  1週間ほどで満開だね。
2008/3/29
福山城のソメイヨシノ桜はポツポツ開花したばかりであった。
2008/4/5
福山城は春満祭 ソメイヨシノ桜は9分咲きとの事であった
2017/9/29
ソメイヨシノ桜の落葉
2017/9/29
北側からの福山城
南側からの福山城
2010/4/4 福山城 
朝早くから場所取りに来られていた。 桜は満開状態でした。
2010/4/4 福山城 正面  2010/4/4 福山城 東面 2010/4/4 福山城 北面
2010/4/4 福山城 ソメイヨシノ 2013/4/27 2013/4/27
2017/11/13
福山城 天守閣前広場で、10月20日~11月13日まで開催されていた、第62回 福山菊花展覧会2017の最終日。
イチョウの葉は黄金色へと黄葉し、季節は山茶花の時期へと移り変わっていく。
国重要文化財指定:筋鉄御門
案内板には、以下のように記されている。
筋鉄御門は、桁行10間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺の脇戸付櫓門で、伏見城と同じく伏見城から
移築された。下層の各柱には根巻き金具を付け、四隅に筋金具を打ち、扉にも12条の筋鉄を鋲打ちし、
乳金具を飾るなど、堅固な造りとなっている。と記されている。
国重要文化財指定:伏見櫓
案内板には、以下のように記されている。
伏見櫓は、桁行8間、梁間3間、3層入母屋造、本瓦葺きの建物で、福山城築城にあたり、伏見城の
松の丸東櫓を移築して建てられた。初層と二層は同じ平面で、その上にやや小さい三層を載せ、内部は
階段を付け、床板敷き、小屋梁天井としている。城郭建築史上、初期の様式を残しており、伏見城の
確かな遺構としても貴重である。と記されている。
空襲の炎で焼けた石垣
福山城は、徳川幕府の西国鎮衛の拠点として1622年(元和8年)に譜代大名・水野勝成によって築かれた。
近世最後の城郭建築として、最も完成した城と言われたが、1873年(明治6年)に廃城となり、鏡櫓など
多くの建物が取り壊された。さらに、1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲によって、
国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失した。福山駅北側道路沿いの石垣は空襲による火災で、
高温の激しい炎に長時間さらされたため、高いところまで赤く変色し、鋭角だった石は丸くなり、
焼夷弾による被害を伝えている。と案内板に記されている。
鏡櫓と月見櫓が並ぶ。
月見櫓
湯殿
京都、伏見城内にあった御殿とともに移築した建物で、国宝に指定されていたが、
昭和二十年(一九四五)の戦災により焼失した。
昭和四十一年(一九六六)に内外ともに復原したものである。と記されている。
福山城から西北の山手橋を望む。
福山城から山手橋まで直線で
約1840m
TV中継塔の向こうの
蔵王山方面を望む
福山城から蔵王山まで直線で
約3200m
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