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山野草さがし散策・過去録写真館

阿藤伯海記念公園・かもがた町屋公園を散策

友人の口コミにより、浅口市鴨方町を訪ねる。
阿藤伯海記念公園、かもがた町屋公園を散策する

阿藤伯海記念公園・かもがた町屋公園を散策2010/7/1 我が家で収穫し乾燥させていた「そら豆」をフライパンで炒りました。そら豆は乾燥すると堅いが炒って食べると美味しく歯茎が鍛えられるよ。でも、そら豆は堅いので歯の弱い人は要注意かもね!!

友人の口コミにより、浅口市鴨方町を訪ねる。
阿藤伯海記念公園、かもがた町屋公園を散策する。
2010/7/1に友人が鴨方町にハスの花が咲いているよ。の一言で
早速3日 7時過ぎに出掛けてみました。
鴨方町の阿藤?ハスの花、とテレビニュースを見て教えてくれているので
断片的に阿藤?ハスの花、わかった?とりあえず行けば場所はわかるだろう。との思いで
出掛けました。
2010年7月10日 土曜日 7時~11時 阿藤伯海先生旧宅で蓮見茶会が開催される。
  位置 阿藤伯海記念公園 岡山県浅口市鴨方町六条院東2385
  位置 かもがた町屋公園  岡山県浅口市鴨方町鴨方240
かもがた町屋公園
国道2号線 鴨方跨線橋信号交差点から岡山県道64号線に入り、
高速山陽道 鴨方IC方面へと走る。鴨方町本町信号交差点を左折すると、
直ぐ左側に「かもがた町屋公園駐車場」があり、
右側に「かもがた町屋公園の古き良き時代を偲ばせる建物群が目に映る。
平成6年4月に旧高戸家の土地を購入し、復元工事を施し平成10年10月22日に
「かもがた町屋公園」として正式オープンした。
高戸家は、江戸の始め運命の糸にあやつられ仲麻呂の故郷 奈良から鴨方にやって来て、
奈良屋と号し油商を営み財を成したようです。
伝承館が高戸家本家で、交流館が分家だったようです。 
朽ちかけていた建物を現代建築の粋を集め素晴らしい技術で当時の面影を残しつつ
復元工事をされ平成10年3月 旧高戸家住宅「伝承館」が岡山県重要文化財に指定されている。
復元工事調査中に、貞享4年(1687年)に大修理されたことを証す棟札が発見され、築後350年は経ていることから岡山県下で最も古い町屋であることが判明したのである。
伝承館入館チケット
鴨方町本町交差点信号を左折する。鴨方往来 鴨方町本町交差点信号を左折する。鴨方往来
かもがた町屋公園と彫り込みされた大きな岩や、
ご案内板が設置されている。
江戸へ百八十二里と彫り込みされた石柱もある。
一里=3.92727273km 江戸へ百八十二里=約715km  
昔の人は、徒歩で江戸へ、よく歩いたものだなぁー。
鴨方町本町交差点信号を左折すると右側に「かもがた町屋公園」の
建物群が見えます。
鴨方町本町交差点信号を左折すると左側に「かもがた町屋公園駐車場」があります。
書状集箱(郵便ポスト)
このポスト(書状集箱)は明治四年(西暦一八七一年)
郵便事業創業当時使用していたものと同じ型のものです。
このポストは歴史と文化の鴨方町に
ふさわしい町並みに合わせて設置したものです。
このポストは他のポスト同様に取り集めを行いますので
ご利用ください。
平成十年十月二十二日 鴨方郵便局長と記されている。
かもがた町屋公園入口右手に設置されている。
日本の歴史公園百選 かもがた町屋公園
正面に大賀ハス池、子供の遊び場、水遊び場があり。
左は伝承館、ふれあい館などがあり右は交流館、郷土の館などがある。
水遊び場始めました。 7月1日~8月31日とご案内がしてありました。
交 流 館 交流館
棟札から延享5年(1748年)に建てられたもので
分家(旧高戸家の分家)の母屋です。
和風喫茶、土産物の展示販売コーナーがあります。
2階は郷土資料などの展示室になっています。
262年前に建てられたものだが朽ちかけていたものを
復元工事が施され現在の姿をとどめている。
琴の練習や詩吟などの練習の場として
色々幅広く公民館のように活用されているようです。
お休み処「まちや亭」 交流館内
手作り作品でインテリア装飾がされている。
お休み処「まちや亭」 交流館内
落ち着いた雰囲気の中で「町屋そうめんセット」を注文。
地元鴨方の独自製造された麺を使用したのど越しのすっきりした
そうめんを美味しく戴きました。安くて美味い!!   
お店の方も和やかで雰囲気良さそう。)^o^(
みんなボランティアの方のようです。
感謝ですね(^_^)   冬は温かい麺です。
交流館2階
交流館2階  
交流館2階には、駕籠や手回しミシン、ラジオ、蓄音器、さし下駄など昔懐かしい品々が
展示されておりました。ラジオの真空管から発せられる熱の匂いが思い出されるなぁー。
大賀ハス池
正門を入ると正面に小さな蓮池が見える。ここの大賀ハスが阿藤伯海記念公園に移植された。
阿藤伯海記念公園の大賀ハス池は広く見事に大賀ハスが咲き誇っている。 
大賀ハスは1951年 岡山市出身の植物学者大賀一郎博士(1883~1965年)が千葉県で
弥生時代とみられる泥炭層(でいたんそう)から種子を発見し発芽に成功した。
他種に比べピンク色が薄く、花の開きが大きいのが特徴。
泥炭層とは、水苔、スゲ、アシ、落ち葉などの植物遺体が水中に堆積し、腐敗バクテリアの作用を
受けることなく残された土層をいう。そのため土層内では有機物質の保存がよく、
植物性遺物(種子、毬果、草木)や、昆虫なども遺存し遺跡形成当時の自然環境を知るうえで
重要な資料が得られる。 
ふれあいの館
ふれあいの館
美術展が開かれていた。
2010年7月11日(日)まで開催されているようです。
ふれあいの館は色々な展示物などのイベントに使用されているようです
ふれあい館前
ふれあい館前には、離れ座敷跡の礎石やつるべ井戸などがあります。 
高戸家敷地内に数個の釣瓶井戸があります。
伝 承 館  伝 承 館(旧高戸家住宅)
平成十年三月 岡山県指定重要文化財に指定された鴨方往来に面した旧高戸家住宅。
子々孫々に浅口市の歴史を伝承していこうとの思いが込められている。
岡山県指定重要文化財 旧高戸家住宅
ここ鴨方にある「旧高戸家住宅」は、江戸時代鴨方藩の庄屋を世襲し油商等を営んだ家で、
藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われた由緒ある町屋である。
建築年代は、貞享四年(1687)に修理をしたという棟札から三百年以上経ており、
県下に残る江戸前期の最も貴重な町屋といえる。
平面は、正面十間、側面四間半、広い土間と居間・座敷をもった今井型(大和)である。
構造は、木造中二階建、入り母屋造と切妻造で本瓦葺き、小屋組は、束立構法と登梁構法を併用しており、
棟高は七・一七メートルである。また、欄間、土間境の建具、格子構、大戸口、袖壁などに
注目すべきものが見られる。
本市が、町屋公園の中核施設として平成七年度から復元修理を行い、平成九年九月に完成した。
市では、この建物を「伝承館」と名付け伝統的生活文化の継承の場とともに、建物博物館として
保存・活用し、市民の歴史的財産として後世に残し伝えていくことにした。
多くの方々に御活用いただきながら伝統的な住宅のよさを伝えることができれば幸いである。
浅口市教育委員会と記されていた。
:貞享四年の修理当時の棟札当時は四を嫌っていたいたらしく、
  二二年と書かれている。
:油商 高戸家を「奈良屋」と号していた看板
貞享四年の修理当時の棟札 
中2階などには木材の皮を剥ぎ少し削り、丸太そのままを梁や柱として曲りなどを活かした丸太軸組工法と
云ってよいのか自然を生かした屋根裏である。土塗り小舞壁で日本の風土に合った壁と言われていた。
壁塗の工程
 1 木舞(小舞)掻き(竹材を小縄で組む)
 2 荒壁塗り
 3 裏返し塗り
 4 大直し塗り
 5 中塗り
 6 上塗り
塗る壁土には、赤土に刻み藁を混ぜていたり、漆喰などが
使われていた伝承館の壁には浅口市の山で採取した紅壁土が
使われている。
この木舞壁は別の民家のものです。部屋内から土が塗られ外側に土が
垂れている。中2階にはやなぎごうりや糸車や樽なども置かれていた。
この木舞壁は別の民家のものです。部屋内から土が塗られ、外側に土が垂れている。
店の間
3枚の格子戸が建てつけられていたが、こちらから
お客様に油を販売していたという。
寒いときには障子をはめ、夜には雨戸をはめ込んでいたという。
貸し木札
油を貸し売りしたのか?お金を貸したのか?
お金を返してもらうと横線を引いていた?



床の間側から庭園に


縁側から床の間の欄間
欄 間

 厚さ1.5cmくらいある無垢材に透かし彫りされていた。
 菊の花が風になびくさまをイメージしたのかな?

  天明後 米一俵価格
     天明元年 17銭    1781年
     寛政元年 15銭
     享和元年 17銭
     文化元年 12銭
     文政元年 16銭
     文政12年 39銭    1829年 
江戸大火
     天保元年 30銭
     弘化元年 25銭
     嘉永元年 35銭    1848年
     安政元年 40銭
     万延元年 79銭
     文久元年 65銭
     元治元年 78銭
     慶應元年 1円42銭
     慶應三年 1円46銭  1867年 
徳川幕府滅亡
     明治元年 1円69銭  1868年
     明治六年 1円20銭  1873年 
地租改正
     明治15年 2円8銭   1882年 
日本銀行創立
     大正元年 8円32銭
     昭和元年 12円70銭
     昭和19年 18円80銭
     昭和20年 60円
     昭和23年 1,487円
     昭和30年 3,902円
     昭和40年 6,308円
     昭和44年 8,218円  1969年 
自主流通米
     昭和45年 8,218円  1970年 
減反奨励
     昭和50年 15,612円
     昭和57年 20,360円
床の間
床の間の襖には、画家 田中索我の掛け軸がかけられていた。
元祖 彌左衛門が奈良県から来ていたので襖に鹿の絵を
デザインされたのだろうか。鴨方に過ぎたるものが、三つある。
拙斎・索我、宮の橋と書かれた立て看板が鴨神社参道入り口に
設置されている。  儒学者 西山拙斎、画家 田中索我
鴨神社の参道に架けられている宮の橋
ユニバーサルコタツ
コタツの外側カバーがどちらを向いても
炭火を入れた器は常に水平を保つように考えられたコタツである。
外側カバーは、漆塗りで季節ごとのモミジの葉を装飾しているのかな?
蠅取り瓶、湯たんぽ、火鉢、番傘、蛇の目傘など懐かしい品々が
展示されている。
置き竈(くど、かまど)
羽釜、、囲炉裏鍋、茶釜がかけられていた。
庭 園
伝承館の庭園
左の門は「御成門」で藩主が出入りする門であったという。
飛び石が置かれているあたりで藩主が駕籠から乗り降り
されていたのかなぁー。
岡山藩支藩である鴨方藩(鴨山城) 25.000石 
池田光政の次子 政言が初代藩主として所領支配をしていたという。
御成門
殿様の気分になって出入りしてみたいな?
手水鉢
縁側から張り出した竹簀子(たけすのこ)スペース竹杓(たけじゃく)
手にかけた水が飛び散っても早く乾燥するように工夫されている。
縦長の手水鉢って珍しいのではないかな。
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