平清盛が活躍していた時代の風情を少しでも感じられたらと、寒風吹く中を
尾道市因島の因島水軍城、呉市音戸町の音戸の瀬戸ドラマ館&平清盛塚の見学に
出掛けてみました。
裾野にある駐車場から眺めた水軍城
水軍城に向かう道筋で見たものを掲載ぁ〜→
因島史料館の花壇に別名雪中花(せっちゅうか)とも呼ばれる。
寒い時期に花が少ない中に芳香を漂わせ可憐に見事に咲いていた。
瀬戸内の海は古くから、わが国 経済と文明の一大動脈であった。その海を
制した村上水軍 自由と熱血の歴史 此地に眠る。誠之館一九会と記されている。
ツゲで造られた植木文字が村上水軍の家紋と水軍と描かれていた。
ストックアンカーA型2.000kg 船舶用及び港湾用、作業船に使用(3.000トン
クラス) マストの高さ荷の重さなどにより、いかりの重さが違ってくる。
ストックレスアンカー4.590kg船舶用(1万トンクラス)タンカー・コンテナ船
数隻に使用。 汽笛(ホーン)はエアーホーンなのだろうか?
屋根は銅板葺きで波鰭付き蕪懸魚が施され、立派な大手門が
迎え入れてくれる。開館時間 9:30〜17:00 休館日 木曜日(祝・祭日 開館)
大手門を入り、わりにきついかもと思われる石段を登ると右手に船の資料館となっている二の丸(展示室、66平米)・隅櫓(展望台、124平米)が
造営されている。
桜の咲く頃に青空に映える白壁の二の丸も見事だろうなぁー。
この石垣造りは打込み接(うちこみはぎ)というのかな?石垣には、
野面積み、笑い積み、打込み接、切込み接、谷積みなどがあるという。
屋根裏は漆喰塗で瓦は上に丸囲みされている。隅棟には鯱瓦が
のせられている。
船の資料館となっている、二の丸の壁面に海を表現したプレートと
操舵ハンドルが取り付けられている。
この水軍城は昭和五十八年十二月一日に築城された全国でただ一つの水軍城です。水軍のふるさと因島にふさわしいものと歴史家奈良本辰也氏の監修により再現したものです→続き案内立札拡大図 弁柄塗の因島水軍城の本丸
本丸は水軍資料館となっており、観覧料 大人310円となっている。
内部展示資料は撮影禁止である。見ごたえある資料が展示されていた。
無料で鎧、兜、刀を試着して写真を撮ることもできるようです。
因島村上水軍は、海と島に生きる武士として熱き血をたぎらせ、堅き絆で結びあいながら盟友の武運と栄え多からん事を祈念し、威風堂々の出陣を敢行したのである。水軍は、戦には、常に追風や順風を利用し、逆風の風は四季に順じて展開していったと言われている。
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戦いは日々連続の中、「船奉公心得」に示す「板子一枚下は地獄」という厳しい戦況のもと戦術を考え、秘伝は武士の和を先とし、強い団結と大将の命令は絶対で、おきては厳しくその統制のもとに水軍戦法を自在に駆使し、中世の時代、国の内外に勇名をはせたのである。ここにこれを見ていただき、因島村上水軍の勇姿を忍んでいただきたいのである。と記されていた。
水軍城眼下にミカン畑が広がっている。
ここから徒歩で海岸に出て、大海原に木造船で手動で漕ぎ出ていたとは
腕っぷしも強かったであろうが、大変なご苦労もあったであろう。
3段の螺旋状の道路を下り終えると音戸町に入る。
引き潮のようだ。
昭和36年(1961年)12月に音戸の瀬戸のもっとも狭い場所に瀬戸内海で
初めて呉市の本土と倉橋島を結ぶために架けられた橋である。
音戸大橋を渡り終えると3段の螺旋状の道路を下り終えると音戸町に入る。
倉橋島には音戸町と倉橋町の2つがあり、早瀬大橋で結ばれている江田島市にも行くことができる。
音戸大橋は長さ172m 音戸の瀬戸は船の可航幅は60mしかなく狭いが
1千トン級の船も通行し、小型船なども含め一日7百隻くらいの通行量があるという。
清盛塚に見守れながら行き交う漁船など船舶がひっきりなしと言えるくらいに往来していた。
音戸大橋の北側300m程先に2013年春の開通を目指して第二音戸大橋が建設されている。潮流も早いようで海面が波打っている。
橋の左下に見える紅白の幕が張られている所は清盛塚です。
清盛塚へは入ることはできないので南手前の舞台から拝観することができる。引き潮であった。
清盛塚に見守れながら行き交う漁船など船舶がひっきりなしと言えるくらいに往来していた。
平清盛塚に見守れながら行き交う漁船など船舶がひっきりなしと言えるくらいに往来していた。
この会館でNHKの大河ドラマ「平清盛」のロケ内容などが「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」として企画展示されている。
入館券の表面と裏面 「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」の企画展示の開催期間は平成24年1月14日(日)〜平成25年1月14日(月・祝)までとなっている。
戴いた音戸の瀬戸観光案内パンフレットなど
平清盛のドラマ撮影に瀬戸内海上でロケで実際に俳優たちが乗船して
使用された船です。手前が船首です。 長さ約15m
船上には帆柱、帆、櫓や錨や船に乗るときに使われる渡板などロケセットが
積まれていた。
船の後部
船尾には、{約3ヶ月の海上ロケの間、海に浮かべていたために付着した「フジツボ」です。潮の香りも残り、ロケで使用された雰囲気を生々しく感じる事が出来ます。}と記されたプレートが貼られていた。
ロケセット 船に乗る際に使われた渡板が展示されていた。
板と丸木を荒縄で括り組みされ作られていた。