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山野草さがし散策・過去録写真館

天石門別神社

御鎮座以来、鎮座地の異動された事実はない。

吉備大臣宮・吉備真備公園 天石門別神社 佛通寺 貴布弥神社 菩提寺 
領家八幡神社
 古堂地蔵尊祠堂 厳島神社 オシドリ・金持神社

諏訪宮・那須与一墓  中国観音霊場 第八番札所 明王院 布施神社 
木之庄八幡神社
 矢喰神社・国分寺・雪舟生誕地 牛窓神社 西光禅寺

美作三宮 天石門別神社(アメノイワトワケジンジャ)  別名:滝の宮
 御社名:天石門別神社
 御鎮座以来御社名の変更がされたことがない。
 祭 神 天手力男神
 鎮座地 岡山県美作市滝宮89番地
      (岡山国際サーキット近く)    2011/5/13

天石門別神社 沿革のあらまし(神社冊子参照)

御鎮座以来、鎮座地の異動された事実はない。但し、鎮座地の呼称は種々異なったものがあった。
即ち、古代大化の頃、英多(アガタ)の地方 和名鈔による英多郡河会(カアイ)郷、鎌倉、室町時代、
河会庄宮地村、旧幕時代、作州宮地村、町村合併まで岡山県英田郡河会村滝宮字滝宮89番地。

祭神は天手力男神、社伝によると御鎮座は約2000年余りまえといわれている。
その年月日は不詳だが、財田氏家系図の端文によると第10代崇神天皇の御代に四道将軍大吉備津彦命が
中国地方鎮撫の為西下された際、当神社の祭神、天手力男神の神教と神助により、
いち早く其の目的を達せられたので、御礼の為当神社の神地を選び、御自ら祭主となられ
鎮斎せられた古社と伝えられている。皇室崇敬の事実としては、清和天皇、貞観5年5月(863年)
従5位下より従5位上神階を昇叙せられ(三代実録所載)、つづいて醍醐天皇、延喜式の御制定に際しては、
その当初に延喜式内の官社として全国3132社の中に加えられ春秋の月並大祭は国費を以って執行せられたことが
正史に明らか(延喜式)。武将の崇敬では嘉元3年(1305年)地頭、平重継によって社殿が再建され、
降って明応8年8月15日(1499年)渋谷兵衛尉 平国綱、神田を寄進(寄進状現存)。
元禄10年2月(1697年)津山城主 森長俊公、本殿を再建(現在の本殿)、享保15年以降毎年9月大祭に
領主土岐氏代参者を派して祭事を執行された。

嘉永5年5月領主 土岐頼寧、御屋根葺替並に国土安穏祈願の為、御印を寄進等があり、
庶民もまた開運招福の守護神として、或は 祈雨に顕著なる霊験があるため、右より今日に至るまで
遠近を問わず神前に額づいて神助を仰ぐもの跡を絶たず。
名士の崇敬では明治43年衆議院議員 福井三郎氏のあっせんにより、当時の内閣総理大臣 桂公爵を始め
諸名士より数々の資材が寄進された。明治6年美作国第18区郷社に、つづいて明治13年県社に昇格し終戦に至った。

元禄10年2月、津山城主 森長俊公によって再建せられた社殿のうち本殿のみは当時のままであり、
幣殿、拝殿等は明治6年郷社と御治定の際すべて改築した。但し、本殿横の八幡社は元禄以前の古建築である。
明治6年改築された幣殿及び拝殿等も県営河会ダム建設により水没の憂を生じたので、敷地を量上げして
本殿を始め他の施設と共に移築・改築・移転等の大工事を行い、昭和52年3月完成したものである。

次に貴重な自然及び古くから伝えられ現存の一部を併記する。
磐座(いわくら)は古代に於ける祭場の跡として代表的(2000年以上経ている)。狛犬(こまいぬ)(阿形(あがた)の狛犬、
吽形(うんがた)の狛犬、作者・年代とも不詳であるが、伝えられているところ渋谷国綱の寄進によるものと言われている。
約480年(室町時代)前のものである。
琴弾の滝、滝は二段になっていて、上が雄滝、下が雌滝で古くから知られている名瀑である。
木製棟木鬼板(もくせいむなぎおにいた)、作者と製作年代は詳らかでないが、
社伝によると元禄10年2月津山城主 森氏が本殿再建の際、旧社殿の貴重な遺物として永年保存するよう命じた由である。

特に16葉の菊花の紋章が神社の格式の高かったことを有力に物語っている。
八幡神社、祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)、配祀 中哀天皇、神功皇后、摂社として
御本殿に次いで奉祀総神社とも言われる。古く河会郷中の八神社を合祭し八社様とも言われていた。
八社とは、福本神社(旧賀茂大明神)、大栄神社、奥神社、三保神社(旧名 矢野原宮)、磐渕神社(別名 木の宮)、
上山神社、威剱神社、横尾神社。 以上、社伝および故宮司 中川克己氏詳録抜粋による。と記されている。  

T字路に琴弾の滝へ1km 

 県道90号線と県道46号線が合流地点
 右に行くと岡山国際サーキット方面へ、
 左に行くと琴弾の滝方面に進む。

瀧の宮トンネル 南側

 1977年竣工
 延長 240m 幅員 7.50m

瀧の宮トンネル

河鹿であろうか?鳴き声がトンネル内に響いていた。 

瀧の宮トンネル 北側

トンネルを抜け出た所に天石門別神社の鳥居がある。

天石門別神社の鳥居

鳥居を抜けて、直進すると滝の宮ダム方面へ行くことができる。
すぐに左わき道を下ると天石門別神社の駐車場がある。 

狛犬

狛犬(こまいぬ)
(阿形(あぎょう)の狛犬、
吽形(うんぎょう)の狛犬

天石門別神社

新緑の若葉が社殿を包み込むようにしており、趣きある風情を感じさせて
くれます。

天石門別神社の拝殿

16葉の菊花の紋章が神社の格式の高かったことを有力に物語っている。
氏子さんたちの協力で作られたのであろう立派な注連縄が飾っていました。

拝殿

拝殿等は明治6年郷社と御治定の際すべて改築した。
明治6年改築された幣殿及び拝殿等も県営河会ダム建設により水没の憂を生じたので、敷地を量上げして本殿を始め他の施設と共に移築・改築・移転等の大工事を行い、昭和52年3月完成したものである。

幣殿・本殿

元禄10年2月、津山城主 森長俊公によって再建せられた社殿のうち本殿のみは当時のままであり、幣殿は明治6年郷社と御治定の際すべて改築した。
明治6年改築された幣殿及び拝殿等も県営河会ダム建設により水没の憂を生じたので、敷地を量上げして本殿を始め他の施設と共に移築・改築・移転等の大工事を行い、昭和52年3月完成したものである。

境内社 八幡社

本殿横の八幡社は元禄以前の古建築である。本殿東側境内に建立されており静かな佇まいは、歴史の古さを感じつつ手の込んだ造りに匠の技の素晴らしさを味わうことができます。

御正殿旧跡の石碑と磐座(いわくら)

自然多く残る境内林のヒノキ、ツガ、カヤなどの樹木に囲まれ水分も豊富なのであろう御正殿旧跡の石碑や磐座の岩が苔むしていた。
自然の味わいっていいなぁー。

磐座(いわくら)

磐座は古代に於ける祭場の跡として代表的で2000年以上経ている。
昔、日本では古代祭場の事を神籬(ひもろぎ)と呼んでいたという。
そこに神が天から降臨される場所(霊天降域)ということで、それは聖なる
岩や土地、御神木であったという。縄文草創期以前に古代人が巨石を
使って築いた自然(太陽)崇拝の祭場のことであったという。

琴弾の滝

滝は二段になっていて、上が雄滝、下が雌滝で古くから知られている名瀑である。落差13m、一昨日の雨で水は濁っていましたが、水量が多く
流れ落ちる水音の響きに一瞬心奪われ見事な滝でした。

駐車場
結構、駐車できる。

祭事と行事予定 
4月29日(祭)   春祭 併 敬老祭 
5月第4日曜日  みたて神社祭 
8月16日〜22日の土曜日
        人形に名前を書いて罪・けがれを 拭い、無病息災を祈る神事。
        八さく踊り、くじ引き等行う。
9月23日(祭)  神なめ祭、氏子研修旅行
10月第4日曜日 秋祭、神輿2基、子供神輿1基、花2組
11月15日     7・5・3祭 15日を中心又は日曜日を含む3日間
11月23日(祭)  新なめ祭
1月1日(祭)    歳旦祭 3日まで3日間 新年祭
1月15日    トンド祭 (14日 下したお飾り、書初めを9時頃 持ち寄り焼く)
        神酒および そば ぜんざい食べ放題

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