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山野草さがし散策・過去録写真館

鳥取東照宮

江戸時代 慶安3年(1650年)、鳥取藩初代藩主、池田光仲によって日光東照宮を勧請して創建されて、因幡東照宮と称され明治7年から平成23年までは樗谿神社と称されていた。

鎮座地:鳥取県鳥取市上町

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 写真はご案内板である。
ご案内板には、以下のように記されている。樗谿神社は平成23年10月に神社名を「鳥取東照宮」に
改称しましたが、文化財指定名称は従来どおりです。
重要文化財
樗谿神社本殿・唐門・拝殿及び幣殿
指定年月日 昭和27年7月19日
樗谿神社は、慶安三年(1650年)鳥取藩主池田光仲によって、日光東照宮の分霊を勧請して造営され、
因幡の東照宮とも呼ばれる。池田氏は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、
特に池田輝政(光仲の祖父)は、徳川家康の信任がことのほか厚く、関ケ原の合戦での行賞により
姫路城主として播磨の国(現在の兵庫県南部)五十二万石を所領とした。輝政は将軍家康のために
西国大名を押さえ「西国将軍」とも呼ばれた人物で、家康の娘・督姫を継室に迎えている。
池田光仲は、輝政と督姫の孫で、徳川家康にとって曾孫にあたる。
このように徳川将軍家と深いつながりを持つ初代鳥取藩主池田光仲が藩主として行った大事業のひとつが、
曾祖父家康の霊を祀る日光東照宮の分社樗谿神社の造営であった。
この造営には、日光東照宮を手がけた幕府お抱えの棟梁・木原木工允藤原義久らがあたり、
完成後は神領五〇〇石を寄進され、藩内最高の社格として位置づけられた。
神社本殿は入母屋造、檜皮葺きで周囲に玉石垣を巡らし、本殿前には唐門の中門を配している。
拝殿と幣殿は凸型につながる入母屋造、杮葺きである。
用材は総ケヤキ造りで一部に彩色は見られるものの白木のままで、随所に桃山風の飾金具がみられる。
権現造ではないものの桃山期の手法をよく残す江戸時代初め頃の代表的な神社建築である。
また、社宝には狩野探幽の「三十六歌仙額」、「太刀」四振(いずれも県指定保護文化財)などがある。
平成十五年五月 と記されている。     
鳥取市大工町頭の樗谿入口交差点を左折して、右手に駐車場ある。 樗谿公園には梅林などが整備されていた。
風景画を描くグループの方たちが来られていた。
せせらぎの草むらに張られたクモの巣が日差しを受けて
虹色に輝いていた。
鳥取東照宮の両部鳥居で神額には金文字で東照宮と書かれている 石橋を渡ると神門がある。
神門 参道は石畳であった。
手水舎 隋神門 平成27年 全国東照宮四百年祭
隋神門の神額 隋神門で一礼、拝殿へとのんびり歩む。
拝殿 拝殿及び幣殿、唐門、本殿
唐門 鎮守の森(社叢)には常緑樹が多く
静かで落ち着いた雰囲気が味わえる。
本殿は入母屋造、檜皮葺きで周囲に玉石垣を巡らし、本殿前には唐門の中門を配している。
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