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山野草さがし散策・過去録写真館

箸立天満宮

神社やお寺には古木の森があり、お参りする人の心を
和ませて頂き励ましてくれます。

銘金山・金山寺 矢喰神社・国分寺・雪舟生誕地 牛窓神社 布施神社
吉備大臣宮・吉備真備公園 天石門別神社  貴布弥神社
足王神社 福力荒神社  新見の済渡寺 諏訪宮・那須与一墓  菩提寺 
加茂総社宮(惣社)・化気神社 吉川八幡宮 茅部神社 オシドリ・金持神社 
鳥取東照宮 刀八神社

領家八幡神社 古堂地蔵尊祠堂 厳島神社 木之庄八幡神社
中国観音霊場 第八番札所 明王院 佛通寺 西光禅寺
七国見山・平成みちびき観音菩薩

御祭神 菅原道真公(八四五〜九〇三)
由 緒 菅原神御父文章博士是善公天安元年(八五七)五月八日
美作権守(国司)に任ぜられ、美作守領の当時翌二年菅公十四才の時、
故あって美作久米郡八出村を経て、当字横森現今九百六十八番の地に
御来着、此所において、お食事を遊ばされ、その御使用の御箸を
立て置かれたところ、不思議にも根を降ろし、芽を生じ成木したと伝えられる。
延喜十年(九一〇)六月小祠を建て、其御霊勘請、
箸立神社と崇敬せり。古来「天神の木」または「箸の木」と称えまつり、
この御神木に祈願すれば霊験顕著なので広く崇敬を集めてきた。
ことに学業成就、子授け安産の信仰が篤い。
明治四十二年(一九一〇)九月四日 垂水神社に合祀
昭和五十五年(一九八〇)十月十日 現在の地に還祀。
社名を箸立天満宮と改める。

    鎮座地:岡山県真庭市落合垂水 箸立天満宮

箸立天満宮

明神鳥居というのか笠木、島木に反りがあり
両柱の上部が中央寄りに建てられている。
鳥居の内側に木製の合格門が造られていた。 
鳥居 文政三年(一八二〇)三月建立

石燈籠

 天保九年(一八三七)九月建立
 風雪に曝されながらも耐え忍び風化も進まず、建立当時の面影がしっかりと残っているようです。

鬼瓦・蕪懸魚・六葉・浪鰭

銅板造りの鬼瓦 破風板に付いている
懸魚は妻飾りという。
 

手水舎

自然石で組まれた台座は苔むし、石造りの水盤に柄杓が置かれていた。

梅の古木

東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて
春な忘れそ (大鏡)

間もなく開花

こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
(拾遺和歌集)

伊吹ヒバ

岡山県指定天然記念物
箸立天神いぶきひば 一株
真庭市落合垂水字天神の木九六八番地
昭和四十四年七月四日 指定
いぶきひばはヒノキ科ネズミサシ属の常緑高木で日本、中国、朝鮮に自生する。
日本では滋賀県の伊吹山に多いのでこの名があるが、一般にはイブキまたは
ビャクシンという。ビャクシンは雌雄異株で本樹は実が付かないので
雄株と思われる。樹齢、規模とも県下一のいぶきひばである。
伝説によると天安二年(八五八)春、美作国守菅原是善とその子道真が
高田庄(現勝山町)へ向かう途中でこの地で休憩し、昼食に用いた箸を立てたのが
活着して本樹になったといわれている。古来、「天神の木」とも
「箸の木」とも呼び、箸立天満宮の御神木として崇拝してきた。
本樹は近年樹勢の衰えが顕著になり、枝の一部は枯れてしまったため、
平成十年度より十二年度までの三ヶ年計画で樹勢回復治療を実施した。
事業実施に当たり、平成十年度は社団法人岡山県緑化推進協会、十一年度は
社団法人岡山県緑化推進協会と財団法人福武文化振興財団、
十二年度は岡山県教育委員会より助成を受けた。
推定樹齢 七〇〇〜一〇〇〇年以上
目通り四.七二メートル 根回り七メートル
樹高十三メートル
平成十三年三月三十一日
真庭市教育委員会
箸 立 天 満 宮 とご案内説明立札が立てられている。

伊吹ヒバ

 神社右手より写した伊吹ヒバ

伊吹ヒバ

神社左手より写した伊吹ヒバ

伊吹ヒバの葉

約半分は樹木が枯れていて葉もありませんが、残っている部分については、まだまだ勢いよく茂っている。

伊吹ヒバ

枯れている樹木の樹皮がないので
樹齢が感じれて味わい深いものがあります。

伊吹ヒバ

伊吹ヒバの枯れ枝が、見方によっては、まるで龍が天に向かって昇ろうとしているように
見えますねぇー。
駐車場
最近整備された道路と歩道の辺りに1〜2台車を短時間なら止めることができる。

箸立天満宮の祭日

合格祈願祭 一月五日
梅 花 祭  二月二十五日
例  祭  四月二十五日
千燈明祭 七月二十四・二十五日
秋 思 祭 十月十日

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