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山野草さがし散策・過去録写真館

加茂総社宮(惣社)・化氣神社

加茂総社宮に50数年ぶりに立ち寄った。昔の記憶なので定かではないが加茂一祭りと呼ばれ、毎年10月19日~20日にかけて執り行われ、その前日18日に化氣神社の祭りがあった。現在は毎年10月の第三日曜日に加茂大祭が行われ、
化氣神社のお祭りは第三土曜日に行われている。

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総社(惣社)  御祭神は大己貴命、天照皇大神
当社は光仁天皇宝亀2年(771)の勧請に係る無辺の古社である。備前国奥津高郡元長田荘の崇祀総氏神として、1200余年間、皇室官民の等しく崇敬尊神する社である。 後冷泉天皇天喜年間(1053〜58)、加茂郷内鎮座の式内外の古社8社を相殿に配祠して最荘厳盛大、県下稀有の備前加茂大祭を創始し、現在に至っている。
 弘安4年の国難に当たり当社社頭に燈籠一基が献進され蒙古降伏の祈願が行われた。(この石燈籠は県下最古の八角燈籠である。)また、貞治4年藤原経明銘の石造り地蔵菩薩立像の造立等は、かつての神仏混淆の歴史を物語っている。永正年間虎倉城主伊賀久隆が社殿を再建したが、伊賀氏滅亡と共に荒廃する。寛文9年、岡山藩主池田光政が社殿・末社に至るまで造営し、更に神領の寄進(高石)、神職任命等を行った。
明治40年神饌幣帛料共進神社に指定され、昭和14年12月郷社となる。平成2年台風で本殿が半壊したが、解体修復工事が行われ、同4年5月復元する。平成6年総社宮前に「お祭り会館」が建立される。例年10月20日(平成元年10月から10月第3日曜日)執行の当社の大祭は、
古くから備前加茂大祭と称し、岡山県下三大祭の1つである。
大祭の起源は天喜年間、郷内悪疫消除の報賽渡御式に始める。祭は加茂郷内鎮座の8神社の神輿を奉じ総社宮に集まる寄宮祭で、950年の歴史を伝える。
鎮座地:岡山県加賀郡吉備中央加茂市場1567
「岡山県神社庁ホームページから転載」    
備前加茂大祭・加茂一祭り・加茂大祭
岡山県道66号落合加茂川線と県道31号高梁御津線と惣社線が加賀郡吉備中央市場で交わる
信号のある交差点を進むと旭川水系の支流一級河川の宇甘川(うかいがわ、うかんがわ)に架かる貫抜橋を
渡ると間もなく右手に、巨木の社叢に囲まれた総社宮が鎮座している。
総社宮の明神鳥居と社叢の巨木
隋神門 隋神門を通り抜けると左手に手水舎がある。
阿吽の狛犬は1938年(S13年)3月吉祥日建立。 石灯篭は天保八年(1837年)丁酉年9月吉日建立
拝殿には本坪鈴が吊るされ、桐枠付きの鈴紐(鈴緒)が参拝に訪れる方々を静かに待っている。
秋の備前加茂大祭の時は鈴紐の揺れは止まらないくらい大勢の参拝者が訪れのだろう。
拝殿の梁の両隅には象頭と獅子頭の彫刻が施され、懸魚は鳥が彫刻され、鬼瓦は天狗なのかな?
隋神門、拝殿、幣殿、本殿 拝殿
本殿、幣殿、拝殿 本殿の御祭神は大己貴命、天照皇大神が祀られている。
総社宮の境内に鎮座している末社(境内社)
本殿の左右には、各地区から御神輿の御神幸された時の御旅所がある。 
地元の方によりますと、昔は、各地区から御神輿を御旅所まで氏子たちが担いで渡御していたらしいが、
現在は、自動車に乗せて渡御されているという。
こちらは左側
吉備中央町下加茂の日吉神社、上田東の松尾神社、案田の化氣神社、上加茂の鴨神社の4社
こちらは右側
吉備中央町和田の素盞鳴神社、豊岡上の八幡神社、豊岡下の天計神社、三納谷の三所神社の4社
祭は加茂郷内鎮座の8神社の神輿を奉じ総社宮に集まる寄宮祭で総社宮を含めて9社で執り行われる。
石灯篭と狛犬 岡山県指定文化財 石造地蔵菩薩立像
  
八角形の総社石灯籠
化氣神社の由緒
当社は備前国津高郡上田村案田化気山鎮座。第10代崇神天皇の10年孝霊天皇の皇子大吉備津彦命四道将軍の一員として吉備国に派遣 異母弟若日子武命と共に針間(播磨)国から本宮山の峯に来られた。この所に御食津神を祀られた。これは、越前国敦賀気比神社と同じく伊奢沙和氣神を祀る。この気比神社の社名を上下間違え、比を化と読み誤り社名が化気神社となったと言い伝えられる。その後44代元正天皇養老8年に皇子、西国の賊徒平定の為西下の途上、備前牛窓に御仮泊にわかに御脳有り諸郷丹心をこめて御脳平癒賊徒平定を祈請せられた時、長田庄本宮山の峯より霊光牛窓海上に映じご加護有り、奉賽の為、本宮山に行幸された。その途中、道に迷った時に白鹿が現れ教導した。是は、伊奢沙和氣神の霊験であると言われた。依って神宝に『いさざ王』と言う丈1尺8寸4分の鹿角を祀られた。
その後、大和漆上郡春日大明神4柱、武甕槌神、齋主神、天兒屋根神、比賣神を祀り、伊奢沙和氣神と合わせ5柱の祭神を祀る。「岡山神社庁ホームページから転載」
吉備中央町指定重要文化財:化氣神社の榊葺神輿
地元の方によりますと、お化氣様の御神輿の屋根表面に毎年お祭り前日に氏子たちの手により
榊の葉(葉身長さ約9.7cm 幅約4.3cm)約四千枚を1枚1枚貼り付けて濃緑色の屋根に仕上げるという。
明神鳥居 西方参道に建つ
昭和53年10月19日建之 氏子中
明神鳥居 南方参道に建つ 神額には化氣大明神と彫刻 神額裏の額束
明神鳥居に燦々と差し込む陽光 鳥居前に広がる駐車場
随神門左手に建つ手水舎 こんもりとした社叢に静かに佇む隋神門
隋神門正面 一礼 隋神門を潜ると参道石段20数段 堂々とした佇まいの拝殿
拝殿に化氣神社の神額が掲げられている。社紋は鹿角
吉備中央町指定重要文化財
化氣神社苗衆祭と榊葺神輿
拝殿、幣殿、本殿
本殿裏  記憶は定かではないが、社殿周りの参道を駆馬神事が執り行われていたように思う。
境内社も数社ある。 疫神社ハ船津村塩谷字天王一〇〇一番地ノ一二鎮座シ塩谷大目の
守護神トシテ崇敬サレ特ニ高瀬舟筏等旭川水運ノ神トシテ
尊バレテイマシタ旭川ダム建設ニ伴ナイ水没スル事トナリ
昭和二十七年二月十日塩谷字堂風呂三六四番地(天王御旅所)ニ
御遷シセルモ塩谷住民御里ヲ離レ転出ノタメ平成三年十月十三日
塩谷大目崇敬者ニ依リテ化気神社境内ニ末社トシテ御遷座セルモノナリ
(変更前住所:岡山県御津郡加茂川町塩谷)
昔、お祭り最後には、盛大に落下傘入り花火が打ち上げられ、社叢に落ちてくる落下傘を追っ掛け拾った。
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