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山野草さがし散策・過去録写真館

あじさい寺・済渡寺へひと旅

広大な敷地に紫陽花が見事に咲き誇っていた。

吉備大臣宮・吉備真備公園 天石門別神社 佛通寺 貴布弥神社 菩提寺 
領家八幡神社
 古堂地蔵尊祠堂 厳島神社 オシドリ・金持神社

諏訪宮・那須与一墓  中国観音霊場 第八番札所 明王院 布施神社 
木之庄八幡神社
 矢喰神社・国分寺・雪舟生誕地 牛窓神社 西光禅寺

足王神社 福力荒神社 七国見山・平成みちびき観音菩薩  新見の済渡寺

済渡寺へひと旅
11.000本の紫陽花(あじさい)が咲き誇っている  
紫陽花が満開の時期を迎えているとのテレビ情報を得て、インターネットで検索し、
「大した事はないがなぁー」と話したが、百聞は一見に如かずの言葉を思い出し、自らの目で確かめるべく自動車を走らせました。やはり、行って自分の目で確かめて良かった。
広大な敷地に紫陽花が見事に咲き誇っていた。
道の駅「醍醐の里」に立ち寄りトイレ休憩。15分ほど花などを見る。
コスモスの里 特産品ふれあいセンター(岡山県真庭市上水田)に立ち寄り、ピュアホワイトという名のスイートコーンとを買って国道313号を走る。
真庭市上中津井から右折して県道78号線(長屋賀陽線)へと入り、まもなく高梁市中井町に入る。
備中松山藩の財政を立て直した、陽明学者「山田方谷先生」の誕生の地「方谷園」に立ち寄り
山田方谷先生が述べられた「義を明らかにして 利を計らず」を彫刻した石碑に学び、津々川の
清らかな流れに泳ぐ川魚の群れに見惚れていました。

11:54 済渡寺(済渡禅寺) 所在地:岡山県新見市法曽661に到着
あとは写真とともに、ご覧ください。 2009年7月7日

備中松山藩の財政を立て直した、陽明学者「山田方谷先生」  
(1805年〜1877年)の誕生の地「方谷園」に立ち寄り、
2009年で山田方谷先生生誕204年になることを知る。
山田方谷先生が述べられた
義を明らかにして 利を計らず」を彫刻した石碑に学び。
義を明らかにして 利を計らず」とは
正しい理念をもって行動し、利益ばかりを追求しないの意
カワムツ
津々川の清らかな流れに泳ぐ川魚の群れに見惚れていました。
いたんがの池 1862年(文久2年) 
山田方谷先生による築造
済渡寺へ行く途中、参道右側にある。
10日は雨が降っていたので池の水が濁っていた。
11:54着
花菖蒲と紫陽花の寺 済渡寺
左、石柱には、「済渡禅寺」と彫刻され、右、石柱には、「女人高野」と彫刻されていた。
深峰林三尾崎山 仁王門
阿吽の呼吸と事がうまく運びますように。
左に吽形(うんぎょう)像
密迹金剛(みつしゃくこんごう)
右に阿形(あぎょう)像
那羅延金剛(ならえんこんごう)  
禅智をひらく 鐘 「一 願 鐘」
精神を集中して無我の境地で撞木で鐘を撞き鳴らし真理の知恵や悟りが生まれ出てくるのであろうか。
梵鐘の余韻の音色に耳を傾け「いい音色だなぁー」と、一瞬、俗世の雑念を忘れ去り。
財福開運 商売繁盛
弁財功徳尊天守
弁天池(水蓮池)の上にせり出して建立されていた。
御蔭様で水蓮が身近で観賞できました。
2009/7/10 雨上がり 弁天池(水蓮池)
淡紅色の水蓮 淡黄色の水蓮は、初めて見ました
済渡寺のいわれ
お寺の過去帳によれば、天平11(739)春行基菩薩が深峰林三尾崎山(しんぼうりんみおさきさん)
号して、この地に草案(草の仮小屋)を建て、2年ほど滞在して仏法(仏の教え)を広めたといわれている。
弘仁2年(811)秋、弘法大師(空海-真言宗の開祖)が来山して、
紀州高野山
(和歌山県)が女人禁制(女性が寺内に入るのを禁止した)であるのに対して、
女性が参詣
(さんけい)できる女人高野として創設し、子安観音(こやすかんのん)をまつり信仰した。
弘法大師は済渡寺を開いて4年後、作州落合の木山寺(きやまじ)を開いた。
東の
紀州高野山と西の高野木山寺に女人高野済渡寺をあわせて、日本三高野といわれている。
高野山の真言宗のお寺として栄えながらも、
南北朝時代、たびだび野火の禍を受けておとろえていった。
このお寺を再び盛んにするため、徳岩守恩和尚が(とくがんしゅおんおしょう)
井原市西江原町永祥寺(えいしょうじ)から、この三尾崎山に入り、曹洞宗(そうとうしゅう)に改めて、
済渡禅寺を開いた。
本尊子安観音は、授産・安産の子孫繁栄に、夫婦睦まじく家内安全の祈願に霊験あらたかで、
多くの人々が遠いところからも参詣した。千二百数十年続いている由緒あるお寺である。
現在は、花菖蒲・紫陽花の寺として知られており毎年6月下旬には花菖蒲が7月には紫陽花が
見ごろを迎える。また、子安観音大祭及び誕生会を兼ねて行われる「花まつり」が
毎年6月の最終日曜日に開催され、賑わいをみせている。と書かれた案内誌を頂いた。
数珠の榧の木
大師の「じゅず」から生え育ったていう伝説がある。
根周り6m 目通り周囲4.6m 
高さ16m 推定樹齢450年
弘法大師の杖 
槙柏の木
(はくのき)
弘法大師の柏の杖が芽をふいて育ったいう老木
根周り2.2m 目通り周囲2m 
高さ12m
推定樹齢1.000年といわれているが詳らかでない。
鐘楼門
ふしぎな ごえんが さずかる かね 良 縁 鐘
日本三高野 子安観音 霊場  済渡禅寺 本堂
風 鐸(ふうたく)
風鐸の内部の打棒(だぼう)を
風招(ふうしょう)が風を受け
揺られて音を奏でる。
白龍殿白龍塚
白龍大善神は、弘法大師が唐(中国)に渡って仏教を修められた時
大師と親交の厚かった学識多彩な人で大師の帰国とともに大師を
助けるために随行し当山に来山したという。
仏教に通じるとともに、絵画、彫刻、陶芸などに精通し田畑の開墾など
弘法大師の片腕となって住民の福利の為
数々の事業をされ、承和9年(842年)に成仏されたという。
また、法曽焼の元祖ともいわれている。
白龍塚は、直径10m 高さ2mの饅頭形で、白龍大善神を葬ったと
伝え祀られ事業の守護神として霊験あらたかである。
白龍塚の周辺は花菖蒲園になっている。花菖蒲の見ごろは、6月下旬頃
てっぺん茶園
済渡寺、すぐ近くの「てっぺん茶園」に寄った。
山の頂上付近に約10.000坪の緑茶畑が見事に手入れされ広がっていた。
みはらしの丘もあり、高梁市が遠望できる。煎茶の販売もされていたので買って帰りました。
帰宅し、美味しい煎茶を頂いて、お疲れ様でした。
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