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山野草さがし散策・過去録写真館

吉川八幡宮

秋晴れの爽やかな日に、ぶらりとドライブ中に目に飛び込んだ吉川八幡宮の案内標識に導かれるように行ってみた。

吉備大臣宮・吉備真備公園 天石門別神社 佛通寺 貴布弥神社 菩提寺 
領家八幡神社
 古堂地蔵尊祠堂 厳島神社 オシドリ・金持神社

諏訪宮・那須与一墓  中国観音霊場 第八番札所 明王院 布施神社 
木之庄八幡神社
 矢喰神社・国分寺・雪舟生誕地 牛窓神社 西光禅寺

足王神社 福力荒神社 七国見山・平成みちびき観音菩薩  新見の済渡寺 鳥取東照宮
加茂総社宮(惣社)・化気神社

御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、を祀っている。
由 緒
当社は永長元年(1096年)京都の石清水八幡宮の別宮として、創建された。
「石清水八幡宮文書」によれば、備仲国吉川保に御調別宮、椙原とがあった。
平安時代末期 吉川が石清水八幡宮の荘園であったことから両神社の関係は特別深かった。
鎌倉時代に書かれた「古事談」によれば石清水八幡宮の楽人、元正が当社の大祭にはるばる下向し
、秘楽を奉納したといわれる。本殿は国指定重要文化財で平成9年から平成10年8月まで、
全面解体修理が行われた。解体の際に応永2年(1395年)再建当時の建築工具としては
縦引き鋸が無く、縦一列にノミを打ち込んで割る工法の部材が全国で初めて発見された。(町指定)
當番祭は毎年10月1日に迎え當、當指しではじまり(10歳前後の男児2名を當番様として決めて)
こりとり、口開(くちあけ)祭、走り競べ神事、ハクケあげ祭と約1月間続く祭りである。
これは岡山県無形民俗資料に指定されている。拝殿・随神門は岡山県指定文化財である。
旧県社に列格した。 岡山県神社庁ホームページから引用。
鎮座地:岡山県加賀郡吉備中央町吉川

2016/10/29 岡山県道307号(吉川槇谷線)を吉川八幡宮の鳥居を過ぎて、右折して
重森三玲記念館、吉川公民館、天籟庵方面に向かうと右手に駐車場と
トイレが完備している。
楔が無く、2本の注連縄が掛けられた明神鳥居周辺と狛犬、鎮守の森が深く、
どっしりと落ち着いた風情が味わえる。
  
鳥居を潜ると岡山県指定重要文化財の檜皮葺の随神門が迎えてくれる。 本殿側から眺めた随神門
随神門から眺めた、拝殿と国指定重要文化財の本殿
拝殿と国指定重要文化財の本殿
拝殿奥に「神は心を見る」と書かれた額が掲げられていた。
国指定重要文化財の本殿について、説明板には以下のように記されている。
国指定重要文化財 吉川八幡宮本殿 大正十四年四月二十四日指定
五間三間入母屋造の本殿の屋根は厚板を葺いた栩葺で、室町時代の応永二年(一三九五)に建てられたと
言い伝わる。正面の向拝と呼ばれる部分は、江戸末期元治元年(一八六四)に一新されている。
地元で代々大切にされてきたため何百年たった今でもその勇姿を目にすることができる。
平成八年から三年かけて、建物の部材をひとつひとつ丁寧に取り外し、建物のもつ長い歴史を尊重しながら
傷んだところを直して再び組み立てる全解体修理が行われ、建立当初の姿に近いかたちでよみがえった。
修理中一建築部材に、木材に鑿を打ち、楔で引き裂いて製材する古代以来使われてきた「打ち割り」技法の
詳細がわかる痕跡がはじめて発見された。本殿を建てるときには、縦挽きの鋸が一切使われていない。
この本殿には、中世の建築の特徴が色濃く残されている。吉備中央町教育委員会と記されている。
五間三間入母屋造の本殿の屋根のてっぺん左右に風切穴が開けられた千木と鰹節に似ているとの鰹木2本と
木材で造られ銅板が捲かれた鬼瓦が備わっている。
千木の上部のカット面が地面と垂直にカットされているのが外削ぎと呼び、外削ぎの御本殿には
男神様が祀られており、鰹木の本数が奇数の場合は男神様が祀られ、
千木の上部のカット面が地面と水平にカットされているのが内削ぎと呼び、内削ぎの御本殿には
女神様が祀られており、鰹木の本数が偶数の場合は女神様が祀られていると聞いた覚えがありますが
例外もあるようです。女神様でも、男性的性格を持っていることがある…などという節もあるようです。
境内社 岡山県下三大祭りの一つ、吉川八幡宮 當番祭が毎年10月1日から
第4日曜日・大祭まで約1ヶ月のお祭りがあるとの事。
大祭で使用された、東と西にヒノキの葉と竹で丸く作られた仮屋
(御座所)が存在していた。
吉川八幡宮の西側に作庭家・重森三玲氏の青年期の作とされる茶室「天籟庵(てんらいあん)」と
記念館がある。その西側には、吉川公民館が建っている。吉川公民館前には桃太郎さんや立派な獅子の
木彫りが展示されていた。
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