本文へスキップ

山野草さがし散策・過去録写真館

銘金山 金山寺(きんざんじ)

2012年12月24日に国の重要文化財に指定されていた本堂が焼失していますが、地元の方のお話では再建・復興に向けての準備が進んでいるようで、現在は仮本堂で運営中です。

吉備大臣宮・吉備真備公園 天石門別神社 佛通寺 貴布弥神社 
菩提寺 領家八幡神社 古堂地蔵尊祠堂 厳島神社 
オシドリ・金持神社
 諏訪宮・那須与一墓  
中国観音霊場 第八番札所 明王院 
布施神社
 木之庄八幡神社 矢喰神社・国分寺・雪舟生誕地 
牛窓神社 西光禅寺
  足王神社 福力荒神社 七国見山・平成みちびき観音菩薩  
新見の済渡寺 鳥取東照宮 加茂総社宮(惣社)・化気神社 吉川八幡宮

2009/5/22
笠井山霊園に向かう時に、金山寺の案内板を見かけたので行って見た。
岡山市北区と赤磐市を結ぶ岡山県道27号岡山吉井線を北に向かって進み、
岡山市北区玉柏の赤い看板の車検のコバックが見えるので、すぐのT字路の信号を左折する。
天台宗 銘金山 金山寺Kinzanji Temple  所在地:岡山市北区金山寺(おかやましきたくかなやまじ)
この寺は天台宗の古刹で毎年2月の第一土曜日には、県下のトップをきって会陽(裸まつり)が行われます。
右手に金山寺の三重塔が遠望できる。
菊の花の栽培が盛んなようです。
岡山市指定重要文化財 金山寺 山門(仁王門) 
参道の周りに田畑の風景が広がる中に、威風堂々の仁王門が建立されている。
寺額(扁額)には銘金山と書かれている。参道石段のセンターに手すりがあり、赤色の支柱の先端は擬宝珠となっている。
仁王門を抜けると本堂に向かう
石段が続く。
帰りの参道風景 本堂西側には庫裏などがある。
金山寺
天平勝宝元年(七四九)に報恩大使が創建、備前四十八ヵ寺の根本道場として栄えた名刹である。
もと裏山の三鈷峰にあったが、康治元年(一一四二)現在の地に移った。嘉応年中(一一六九~一一七〇)、宋から
帰国した栄西禅師が入山し灌室、護摩堂などを増築して、法相宗から天台宗に改め、遍照院と号した。
文亀元年(一五〇一)金川城主松田氏が日蓮宗への改宗を迫ったが、応じないので一山はことごとく焼き尽くされた。
のち、伯耆の大山寺から法印円智が来山し、岡山城主宇喜多直家の庇護を受け、天正三年(一五七五)本堂、護摩堂が
再建され、また国中の寺社総管になるなど優遇された。江戸時代に入り、池田光政の時に、天台宗の末寺のみを
支配する事に改められたが、地方寺としての地位は不動であった。現在も一大山上伽藍が遺存し、
貴重な文化財が多い。指定文化財には、次のようなものがある。
本堂 天正三年(一五七五)宇喜多直家時 (国指定重要文化財)
護摩堂 本堂と同時代         (県指定重要文化財)
三重塔 天明八年(一七八八)      (県指定重要文化財)
仁王門 天保二年(一六四五)池田光政時 (市指定重要文化財)

金山寺文書付金山観音寺縁起 平安時代~鎌倉時代 (国指定重要文化財)
木造阿弥陀如来座像     平安時代末     (県指定重要文化財)
五鈷杵・五鈷鈴       鎌倉後期      (県指定重要文化財) 
   平成四年三月 と案内板に記されていた。
本堂の西側 本堂の正面 本堂の鰐口
本堂の東側 本堂の東側には孟宗竹林がある。 裏山の三重塔に向かう参道周辺は
淡竹林になっていた。
美味しそうな淡竹の筍が生えていた。 淡竹の筍を真上から写す。
三重塔の斗栱、肘木などの木組みが素晴らしいですね。
金山寺の正面参道前には駐車スペースが狭いので、もう少し先へ進み右折して、狭いコンクリート道を下ると
金山寺の広い駐車スペースがある。
2018年12月
縁あって知人が、岡山市北区畑鮎に金山寺が運営する金山寺和霊園永代供養墓に両親の遺骨を納骨されました。
  Home  戻る